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東京地方裁判所 昭和58年(特わ)1060号 判決

被告人 岩間豊

昭二八・六・六生 キヤバレー従業員

主文

被告人を無期懲役に処する。

未決勾留日数中六〇〇日を右刑に算入する。

理由

(犯行に至る経緯)

被告人は、北海道浦河郡浦河町で出生し、地元の中学校を卒業後、家業である漁業の手伝いをしながら定時制高校へ進学したが、昭和四六年七月、家庭の事情等のため、高校を中退して家業に専念し、その後幾つかの漁業会社所属の漁船乗務員となつてサケ、マス漁などに従事したが、次第に嫌気がさして、昭和五四年一二月頃、船を降り、翌五五年一月、単身札幌に出てピンクサロンのウエイターなどをしたのち、同市内の鉄筋下請業者の下で弟智と共に働くようになり、同年一二月頃、その下請仕事の関係で右智らと共に上京し、八王子市内で鉄筋工として働いていたが、間もなくしてそこも辞め、その後東京都渋谷区道玄坂二丁目所在の株式会社藤和開発に就職して再び水商売に入り、同都目黒区駒場の会社寮に住み込みながら、ウエイター或いは板前見習として同会社直営のクラブや大衆酒場等を転々としたのち、昭和五七年五月から同都葛飾区細田にある鉄筋下請業者の下で再び鉄筋工として働くようになつた。被告人は、同年一一月一六日午後四時頃、仕事を終えて帰宅し、その後弟智や当月分の給料を自宅に届けてくれた親方と共に自宅付近の大衆酒場へ赴き、同店で所謂酌ハイ二杯位を飲んでいるうち、知人のかすみこと菅原香から覚せい剤を購入して使用しようと思い立ち、同日午後七時過ぎ頃、渋谷に出て同女に電話連絡をとつた上、同日午後八時半頃、同女と落ち合い、予め同女に代金を手渡したのち、同女から覚せい剤を入手した旨の連絡があるまで同女の稼働先である同都港区六本木所在のクラブ付近で時間を潰すことにし、同日午後九時頃、先ず、右クラブ付近のレストラン喫茶に入り、ハーフボトル一本程度のワインを軽食と共にとり、更に、同日午後一〇時頃から付近の大衆割烹において、野菜の煮物や刺身等を肴に日本酒銚子五、六本以上を飲みながら、同女からの連絡を待つていたところ、翌一七日午前三時頃、同女から覚せい剤を入手できた旨の電話が入つたため、同店を出て付近路上で同女と会い、後記判示第二記載のとおり、同女から覚せい剤を譲り受けたが、その際、注射針を持ち合わせていなかつたため、同女に同行して同都渋谷区東一丁目の同女宅に赴き、同女から注射針を譲り受けたのち、付近の路上で、雨水を用いて覚せい剤の水溶液を作り、これを自己の左腕に注射して覚せい剤を使用したところ、性欲が高まつて女性を求める気持が募り、他方、かつて勤務していた前記藤和開発の駒場寮に忘れたままになつている船員手帳を、この際取りに行きたいとの気持も生じて渋谷界隈のラブホテル街などを徘徊しながら駒場方面に向ううち、やがてホテル一城付近に至つた。

(罪となるべき事実)

被告人は、

第一(一)  昭和五七年一一月一七日早朝、覗き見する等の目的で、有限会社東城商会代表取締役東城一男が管理し、同会社従業員甲野春子(当時五二歳)他一名が居住する同都渋谷区神泉町一一番六号所在のホテル一城内に、その一階客室のメノーの間の窓から入り込み、もつて、故なく人の住居に侵入し、

(二)  前同日同時刻頃、同ホテル一階及び二階の各客室の出入口ドアの取つ手を順次回しながら、前記目的を遂げるに適当な部屋を探すうち、二階客室のダイヤの間の出入口ドアが施錠されていなかつたことから同客室内に入り、中の様子を窺つたところ、同客室奥四畳半の和室に前記甲野春子が一人就寝しているのを認めて劣情を催し、同女を強いて姦淫しようと決意し、同女に近付いてその顔を覗き込んだところ、同女がこれに気付き叫び声を上げたため、同女に対し「静かにしろ。」と言いながらいきなり手でその口を塞いだところ、同女が被告人の手を払いのけ、大声を上げながら起き上ろうとしたため、同女の頸部に正面から両手を掛けて同女をその場に押し倒し、上から押え付けるようにしてその前頸部を強く絞め付けたところ、同女が激しく抵抗して上半身を起こしたため、更に、同女の背後からその頸部に左腕を巻き付けて徐々に自己の身体と共に同女を引き倒して横抱きにし、その状態で同女の頸部を強く絞め付けたが、その際、姦淫の目的を遂げて逃げ延びるには同女を殺害する外はないと決意し、そのまま同女の頸部を強く絞め続けるうち、同女がぐつたりして動かなくなつたため、同女の口許に耳を押し当てて同女がまだ微かに呼吸をしていることを確かめた上、同女の上に伸し掛かり、仮死状態になつていた同女を強いて姦淫し、よつて、その頃同客室内において、同女を右一連の頸部圧迫により窒息死させて殺害し、

(三)  右犯行後の同日午前七時二五分過ぎ頃、前記二階客室のダイヤの間を出、逃走するため、侵入場所である前記一階客室のメノーの間に戻ろうとしたが、同ホテル二階客室のシルバーの間を前記メノーの間と勘違いをし、そのまま右シルバーの間に入つたところ、折柄同客室の和室の掃除をしていた前記会社従業員乙川夏子(当時五六歳)が被告人の姿を認めて喫驚し叫び声を上げたため、前記犯行が露顕するのを防ぐためには同女を殺害する外はないものと決意し、矢庭に同女に飛び掛かり、左手でその口を押えて同女をその場に仰向けに押し倒し、その上に伸し掛かつて両手で同女の前頸部を押え付けながら強く絞め付けたが、同女が激しく抵抗して逃げようとしたため、その背後から同女の頸部に左腕を巻き付けて強く絞め付け、同女を仮死状態に陥らせた上、更に、同客室浴室内において、浴衣の紐(押収番号略)で同女の頸部を緊縛し、よつて、その頃同所において、同女を右一連の頸部圧迫により窒息死させて殺害し、

(四)  右犯行後の同日午前七時四〇分頃、前記二階客室のシルバーの間を出て前記一階客室のメノーの間に戻り、そこからそのまま逃走しようと同客室に脱ぎ捨てていたズボンをはいた際、自己に前科があることから、このままでは同ホテル内に残した指紋によつて自己の前記各犯行が露顕するのではないかとの不安に駆られ、いつそのこと同ホテルに放火してこれを全焼させ、前記の各犯跡を消失させようと決意し、前記ダイヤの間に立ち戻つて同客室内のくず籠の中から紙片や紙袋等の可燃物を取り出してビニール袋に詰め、その場にあつたマツチ箱一個を持つて隣室の客室エメラルドの間に入り、その頃同客室において、同ホテル内に宿泊客が現在することを認識しながら、右ビニール袋の中の紙片等に右マツチで点火し、そのマツチ箱を右ビニール袋の中に入れた上、燃え出した紙片等在中の右ビニール袋を、同所に置かれているベツドの敷布団上に置き、その上から掛布団を掛けて火を放ち、もつて、井田昌明外一名の宿泊客が現在する木造モルタルトタン葺地上二階地下一階建同ホテル建物一棟(地上階延床面積三二九・三八平方メートル、所有者東城一男)を焼燬しようとしたが、間もなくして同客室の火災報知器が作動し、同客室の窓から煙が出ているのに気付いた同ホテル隣人らの通報により駆け付けた消防署員らによつて消し止められたため、布団、ベツド用マツトレス等を焼損させたに止まり、その目的を遂げず、

第二  法定の除外事由がないのに、同日午前三時頃、同都港区六本木三丁目一四番一三号付近路上において、菅原香から覚せい剤であるフエニルメチルアミノプロパン塩の結晶約〇・三グラムを代金三万円で譲り受け

たものであるが、判示第一の各犯行当時、心神耗弱の状態にあつたものである。

(証拠の標目)(略)

(被告人の責任能力についての補足説明)

第一当事者の主張の要旨

弁護人は、被告人の判示第一の各犯行は、アルコール酩酊に覚せい剤の影響が加わつて生じた意識障害の下で遂行されたものであるから、被告人は、右各犯行当時心神耗弱の状態にあつた旨主張し、他方、検察官は、判示第一の各犯行当時、被告人がアルコール酩酊下において覚せい剤を使用したことにより、その影響を受けていたとしても、その程度は所謂単純酩酊と同様の状態に止まるものであるから、被告人が右各犯行当時是非善悪を弁別し、これに従つて行動する能力を有していたことは明らかである旨主張する。

第二鑑定人の意見

(一)  鑑定人医師中田修作成の岩間豊精神状態鑑定書及び第一一回公判調書中の証人中田修の供述部分(以下、これらを単に「中田鑑定」という。)によれば、同鑑定は、「被告人は、判示第一の各犯行当時、アルコール酩酊と覚せい剤中毒の併合による意識障害の状態にあり、限定責任能力が妥当と思われる状態にあつた。」としており、また、鑑定人慶應義塾大学医学部精神神経科保崎秀夫作成の岩間豊精神鑑定書及び証人保崎秀夫の当公判廷における供述(以下、これらを単に「保崎鑑定」という。)によれば、同鑑定は、「被告人は、(イ)判示第一の(一)及び(二)の各犯行当時は、飲酒酩酊の上、覚せい剤が加わつて、複雑酩酊と同様の状態にあつた可能性が強い、(ロ)判示第一の(三)及び(四)の各犯行当時は、右(イ)の状態より単純酩酊と同様の状態に移りつつあつたと思われるが、どの時点からかは判断しかねる。」としている。

(二)  これに対し、医師市川達郎作成の精神衛生診断書及び証人市川達郎の当公判廷における供述(以下、これらを単に「市川鑑定」という。)によれば、同鑑定は、「被疑者は、犯行前、飲酒の上覚せい剤を使用しているが、除制止、性欲亢進等があつたにしろ、記憶もよく保持しており、犯行は、了解可能な態様であり、普通酩酊の範囲内であつた。」としている。

第三当裁判所の判断

(一)  被告人の検察官及び司法警察員に対する各供述調書、第三回公判調書中の証人菅原香の供述部分、菅原香の検察官に対する供述調書謄本(但し、第四項を除く。)、中田、保崎両鑑定の結果等関係各証拠によれば、(1)被告人は、昭和五七年三月頃から覚せい剤に手を出し、以後本件犯行に至るまで十数回に亙りこれを使用したことがあるものの、これまで覚せい剤中毒による幻覚、妄想等の病的体験はなく、また、判示第一の各犯行の遂行時においても、被告人がそのような幻覚、妄想等によつて支配されていた形跡は全く見られないこと、(2)被告人の捜査段階における供述調書によれば、覚せい剤使用後のホテル一城までの被告人の行動経路、本件各犯行の動機・態様及び犯行後の逃走経路について、部分的には記憶の欠落や曖昧な点を含みながらも、全体としては相当詳細な供述が録取されていること、(3)そして、更に、判示第一の各犯行の態様等をみても、被告人は、甲野春子に対する犯行に際しては、同女の口許に自己の耳を押し当て、或いはその脈を見るなどして同女の生死を確認したり、また、同女が既に死亡していると認めながら同女の万一の蘇生を慮り、なおもその頸部をシヤツ等で緊縛するなどし、更に、自己の犯行であることが露顕しないようゴム手袋をはめた手で、自己の指紋が付いていると思われるドアの取つ手やテーブルを拭いて回り、また、逃走の途中顔を合わせた乙川夏子を、自己の前記犯行を隠蔽するため、殺害したばかりか、同女の死体の発見をできるだけ遅らせるため、同女を浴室まで運び込み、同所で、これまた、甲野春子の場合と同様に、乙川夏子の頸部を浴衣の紐で緊縛して万が一にも同女が蘇生しないようにした上、部屋出入口ドア取つ手の内側のプツシユボタンを押して部屋を出、更に、右各犯行の痕跡を全て消失させようとして火を放つなど理に適つた行動をとつていること等の事実が認められ、以上の各事実に鑑みれば、アルコール酩酊と覚せい剤中毒が被告人の本件各犯行に及ぼした影響はそれほど深刻なものではないとする検察官の主張も強ち理由がないわけではない。

(二)  しかしながら、前記各証拠に、被告人の当公判廷における供述(以下、「被告人の公判供述」という。)、第一回、第六回、第七回、第八回及び第一三回各公判調書中の被告人の供述部分(以下、これも単に「被告人の公判供述」という。)、佐藤義富及び岩間智(昭和五八年四月五日付)の検察官に対する各供述調書等関係各証拠を総合すれば、(1)被告人は、犯行前日である昭和五七年一一月一六日夕刻から犯行当日の翌一七日午前三時頃までの間、平素の酒量(ウイスキーボトル三分の一位)を超えて、先ず、自宅付近の大衆酒場において所謂酎ハイ(二五度の焼酎六勺位を炭酸水で割つたもの)二杯位、次いで、六本木のレストラン喫茶においてワインをハーフボトル一本位、更に、右喫茶店付近の大衆割烹において日本酒銚子五、六本以上をそれぞれ飲酒していたため、当時、可成りの酩酊状態に陥つていた(このことは、マンシヨンの一室にある前記菅原香方の玄関前で、隣人を憚らず覚せい剤使用のための注射針と水を求めて大声を上げ、ドアを執拗に叩くなどして騒ぎ、また、深夜とはいえ通行人の目が予想される公道上で、しかも、路上に溜まつた不衛生な雨水を用いて判示第二の譲受けに係る覚せい剤を注射するなどした被告人の行動からも如実に看取される。)ところに覚せい剤を使用していること、(2)アルコールと覚せい剤の関係は複雑で未だ十分に解明されているとは言い難いところがあるが、両者を併用した場合、時には激しい興奮状態や錯乱状態を出現させることもあるなどその精神状態に障害をもたらすことがあること、(3)被告人の公判供述によれば、被告人は、判示第一の各犯行自体については概ねその記憶が保持されているものの、覚せい剤を注射した後、ホテル一城に至るまでの経路やその間の行動及び同ホテルへの侵入時の状況等については全く記憶が欠落しているばかりでなく、犯行の個々の具体的行為についても、ところどころ記憶が定かでない点が認められるなど記憶に障害があること、(4)被告人は、捜査段階では、これらの点について、公判供述よりも、より明確に供述していることが認められるが、それも決して変遷がないわけではなく、例えば、当初は覚せい剤注射後ホテル一城に至るまでの経路やその間の行動につき記憶がない旨述べていたのに、その後、詳細にその経路について供述し、また、同ホテルへの侵入時の状況についても具体的に図面を作成するなどして供述するに至つているが、右供述の変遷がやや唐突で、どのようなことからその記憶を喚起したのか必ずしも明らかでないこと等に鑑みると、被告人が自己の犯した罪の重大性を意識する余り、捜査官の取調べにやや迎合的になつて、これらの点に関し、記憶の欠落部分を或いは推測だけで、或いは犯行現場の客観的状況に適合させる形で補い、前後に脈絡のある供述をなしたことも十分窺われるところであり、また、被告人が覚せい剤を注射してからホテル一城に侵入し、同ホテルを立ち去るまで、可成り長い時間が経過していることと被告人の捜査段階におけるその間の行動についての供述内容とを対比して勘案しても、被告人のその間の行動が、被告人により、何らの欠落部分もなく全て捜査段階で供述し尽くされているものとも考え難いこと、更に、被告人の捜査官に対する供述調書自体にも被告人に記憶のない部分やその曖昧な部分が最後までそのまま残されていることが認められること等を考慮すると、捜査段階において、既に、判示第一の各犯行時及びその前後の行動につき、部分的ではあるが、被告人の記憶に相当欠落部分があつたのではないかとの疑念を払拭しきれないところ、被告人の公判供述は、ほぼ一貫して変ることなく、判示第一の各犯行についても自己に記憶がある部分は、利益、不利益を考慮することなく素直にこれを認めている上、その供述態度には自己の犯した罪の重大性を自覚した上での贖罪の気持が見られ、殊更、記憶がないなどと虚偽の陳述を重ねているものとは認め難く、従つて、被告人に部分的な記憶障害が相当程度存することは否定することができないこと、(5)そして、判示第一の各犯行自体についても被告人に次のような不可解で人格異質的な行動が認められること、即ち、(イ)被告人は、判示のとおり、渋谷界隈を徘徊してホテル一城付近に至り、同ホテルのネオンを目にするや、同ホテルに侵入して覗き見などしてやろうという気を起こし、本来、利用客男女のプライバシーの確保に強く意を用い、第三者の覗き見等が極めて困難な構造となつていると思われる所謂ラブホテルである右ホテル一城に、只管覗き見等の目的を遂げようと、その実現の可能性すらろくに考慮することなく、しかも、わざわざ隣接する建築現場の丸太の足場をよじ登つてまでして侵入し、且つ、その直後、侵入した客室内で、未だ覗き見等が可能であるかどうかすら全くわからない状況の下で、パンツ一枚の姿となり、そのままの状態で、他人の目を憚ることなく同ホテル内を動き回るような理解し難い行動をとつている(検察官は、被告人が捜査官に供述したように、人に見付かつた際、服装を覚えられないようにするためとか、強姦をし易くするためと見ればこれも不自然ではないと主張するが、いかにラブホテル内とはいえ、このような姿では、人に発見されれば、怪しまれ、人の記憶にも残り易い上、脱いだ衣類を別室に置いたままでは、咄嗟の場合、直ちにこれを身に着けることができず、そうなれば、人に服装を覚えられないどころか逃走そのものが甚だ困難となることは明白であり、また、仮に一旦は逃げおおせても、もしこれを遺留せざるを得ない事態ともなれば、これが犯人の特定に有力な手懸りを与えかねないことも、通常であれば、容易に判断できることであるから、検察官の右の主張は採るを得ない。)ばかりでなく、甲野春子に対する犯行においても、被告人は、ダイヤの間奥四畳半の和室において、判示のように、一度同女を強姦したあと、死期の間近い同女の手足を浴衣の紐で縛り付けてわざわざ同客室内の浴室まで運び、同所で、更に、同女に対し執拗に姦淫行為に及んでいるのであるが、同女はその当時意識不明の状態にあつたのであるから、同女を浴室まで運ぶにしても、何も敢えて、他の部屋から浴衣の紐を持つてきてまでして同女の手足を縛る必要性はないと思われる(現に、被告人は、同女の背中から手を回し、同女を抱きかかえるようにして浴室に引張り込んだというのであるから、必ずしもその必要がなかつたことは明らかである。)のに、一旦パンツをはいて、わざわざ同女を縛る紐を探すべく同客室を出、いつ何時、人に出逢うかも知れない廊下を、犯行露顕の危険などに何ら思いを致すこともなく、これまた、パンツ一枚の姿で歩き回り、二つ位の空部屋からそれぞれ浴衣の紐一組二本(計四本)を持つてきた上、右紐で前叙のように同女を縛り上げて浴室に引張り込んだばかりか、更に、同所で、姦淫がし易いようにと、これまた、さほど効果があるとも思えないのに、そして、当時は一刻も早く目的を遂げてその場から逃走することこそが被告人にとつて最も重大事であつた筈なのに、わざわざ時間と労力をかけて、一度縛つた紐を解き、再び同女の両手首と両足首を右紐で一緒に縛り付け、別の紐をその首に廻してその足に掛けて結び、身体全体が蛙を逆さにしたような異様な恰好に縛り上げるなどその行動は、必ずしも了解が可能とは言えない上、態様が極めて執拗で嗜虐的であること、(ロ)また、エメラルドの間における放火未遂の犯行についても、被告人は、自己の犯跡を消失させようと同ホテルに火を放つことを企図し、甲野春子を殺害したダイヤの間に立ち戻り、同客室で可燃物を探し集めたのに、そのまま同室に火を放つことなく、わざわざ隣室のエメラルドの間に赴いて放火するなどその行動には、これまた、容易に理解し難いものがあること、(ハ)そして、被告人のこれらの不可解で異常な行動は、被告人のこれまでの生活歴や行動歴からは容易に窺うことができないものであること、(ニ)もつとも、被告人には過去三回に亙り傷害事件を起こした前科前歴があり、そのいずれもが酔余の犯行であることに照らすと、被告人は、酒癖が悪く粗暴な性格傾向を有していることが窺われ、また、かつて性的関係を持つた女性から性交渉の際、紐で縛ることを強いられて嗜虐的行為に及んだことがあり、無意識的にはこれらが判示第一の(二)、(三)の各行為に発現したものとは言えても、これらがそのまま直接的に右各犯行に結び付いたと見るのは、その罪質・態様及び被告人が述べる個々の行為の動機等に照らして飛躍があると言うべきであること、(ホ)以上に徴すると、中田鑑定が「判示第一の各犯行は、被告人の平素の人格から見て異変的且つ異質的である。」としたのは極めて合理性を有しているものと言うことができること等の事実が認められ、以上の各事実に、前記第三の(一)に認定した各事実の存在及び中田、保崎両鑑定の前記鑑定結果をも総合して考察すると、被告人は、判示第一の各犯行当時、アルコール酩酊に覚せい剤の影響が加わつて意識障害が生じ、複雑酩酊と同様の状態に陥り、これにより是非善悪を弁別し、これに従つて行動を制御する能力を著しく減弱した状態、即ち心神耗弱の状態にあつたものと認めるのが相当であると言うべきである。これに反する市川鑑定の結果は、その鑑定方法が専ら捜査記録に依拠し、被告人に対する問診も僅か一時間に過ぎない簡易なものである上、その内容に徴しても、前叙認定の不審点を看過していることが明らかであるから、直ちにこれを採用することができない。

(三)  なお、保崎鑑定は、前記のとおり、判示第一の(三)の乙川夏子に対する犯行時以降は、複雑酩酊と同様の状態から単純酩酊と同様の状態に移りつつあつたものとするが、右鑑定自体移行の時期を判断しかねている上、判示第一の各犯行に要した時間や各犯行間の時間的間隔等についても十分に確定できず、また、前叙のとおり、判示第一の(四)の放火未遂の犯行時においても、被告人の行動に容易に理解し難い点が認められ、更に、右犯行後の逃走経路についての記憶の保持も、逃走時の精神的混乱状態を考慮に入れてもなお相当不十分な点が認められるから、被告人が乙川夏子に対する犯行当時以降、責任能力を回復していたものとは俄かに断じ難く、そして、他に右時点以降、被告人に責任能力があつたと認めるに足りる証拠もない。この点に関する保崎鑑定は採用しない。

(法令の適用)

被告人の判示第一の(一)の所為は刑法一三〇条前段、罰金等臨時措置法三条一項一号に、判示第一の(二)の所為中強姦致死の点は刑法一八一条、一七七条前段に、殺人の点は同法一九九条に、判示第一の(三)の所為は同法一九九条に、判示第一の(四)の所為は同法一一二条、一〇八条に、判示第二の所為は覚せい剤取締法四一条の二第一項二号、一七条三項にそれぞれ該当するところ、判示第一の(二)の甲野春子に対する強姦致死と殺人は一個の行為で二個の罪名に触れる場合であり、判示第一の(一)の住居侵入と判示第一の(二)の甲野春子に対する強姦致死・殺人、判示第一の(三)の乙川夏子に対する殺人、判示第一の(四)の現住建造物等放火未遂との間にはそれぞれ手段結果の関係があるので、刑法五四条一項前段、後段、一〇条により結局以上を一罪として刑及び犯情の最も重い甲野春子に対する殺人罪の刑(但し、短期は現住建造物等放火未遂罪の刑のそれに従う。)で処断することとし、所定刑中死刑を選択し、右は心神耗弱者の行為であるから同法三九条二項、六八条一号により法律上の減軽をした上、無期懲役刑を選択し、これと判示第二の罪は同法四五条前段の併合罪であるが、判示第一の罪につき無期懲役に処すべきときであるから同法四六条二項本文により他の刑を科さないこととし、被告人を無期懲役に処し、同法二一条を適用して未決勾留日数中六〇〇日を右刑に算入し、訴訟費用は刑事訴訟法一八一条一項但書を適用してこれを被告人に負担させないこととする。

(量刑の事情)

本件は、判示のとおり、被告人が酔余知人から覚せい剤を譲り受けてこれを使用し、その影響を受けて自己の性欲を亢進させた状態で渋谷界隈を徘徊した挙句、覗き見等の目的で、所謂ラブホテル内に侵入し、同ホテル客室に一人就寝中の同ホテル従業員甲野春子の寝姿を認めるや、劣情を催して同女を強姦すべく襲い掛かり、そして、姦淫の目的を遂げて逃げ延びるには同女を殺害する外はないという気になり、その意図の下にその頸部を執拗に強扼して同女を仮死状態に陥らせ、強いて姦淫すると共に窒息死させてこれを殺害し、次いで、同ホテルから逃走しようとした際、たまたま同ホテル従業員乙川夏子に出くわすや、自己の右犯行が露顕することを怖れて、いとも簡単に同女殺害の意を決し、有無を言わさず、同女に襲い掛かつてその頸部を絞め、一気にこれを殺害し、更に、同ホテル内に残した自己の全ての犯跡を消失させるべく、客室内のベツドに放火して同ホテルを焼燬しようとしたという事案であつて、犯行に至る経緯、動機には何ら酌量すべき事情がないばかりか、犯行の態様も被害者甲野春子に対するそれは、被告人の姿を見て驚愕と恐怖に戦きながら激しく抵抗する同女の頸部を執拗に強扼し続けて同女を仮死状態に陥らせたのち、その場で一応姦淫しながら、それだけでは飽き足らず、その後、なおも死期の迫つた同女を浴室に引張り込んだ上、浴衣の紐でその身体を見るも無残な格好に縛り上げて陵辱の限りを尽くしたばかりか、既に同女が死亡したことを認めながら、なおも念入りにシヤツ等でその頸部を緊縛して同女が万が一にも蘇生しないよういわば止めを刺すような措置を講じるなどしているのであつて、誠に冷酷非情にして残忍の極みと言うべきであり、また、乙川夏子に対するそれも、単に同女に自己の姿を見られたというただそれだけの理由で、何ら遅疑逡巡することなく同女を扼頸した上、これまた、万が一にも同女が蘇生しないようにといわば止めを刺すように浴衣の紐を用いて絞頸して殺害しているのであつて、誠に無慈悲と言う外はなく、これら被害者に対する所業は、正に鬼畜にも等しいものと言わなければならない。何らの落度もなく、ただ不運にも被告人に遭遇したというだけで斯くの如き残虐非道な犯行の犠牲となり、恐怖の中で苦しみ悶えながら寸刻のうちに絶命した被害者両名の悲惨な最期を思うとき、その無念の情は察するに余りがある。そして、本件がその遺族に与えた精神的打撃や経済的損害には測り知れないものがあり、その心情に思いを致すと同情の言葉もない。しかるに、被告人やその家族において、これまで遺族に対し、慰藉の措置はおろか、謝罪の意を表明する手立てすらも講じていない現状を併せ考えれば、遺族が被告人に対し、深い憤りをもつて、これが極刑を望む心情も誠に無理からぬものがあると思料される。加えて、本件後、ホテル一城は客足が遠のき、結局廃業の己むなきに至るなど本件各犯行によつて同ホテルが蒙つた経済的損害も甚大であつたことや、同ホテル放火未遂事件も含む本件が付近住民や一般市民に与えた不安と衝撃も測り知れず、その社会的影響も看過し得ないものがあること、更には、覚せい剤の濫用に伴う本件の如き兇悪事犯が跡を絶たない現時の憂慮すべき状況等をも考慮すると、被告人の刑事責任は極めて重大であると言わざるを得ず、本件は正に極刑をもつて臨むべき事案と言うべきである。しかしながら、被告人が判示第一の各犯行当時、心神耗弱の状態にあつたことは前叙のとおりであるから、その刑を減軽することとなるが、叙上の本件各犯行の動機・態様・罪質・結果の重大性等に鑑みると、被告人が、犯行後、本件の重大性に思いを致して自殺を企てるまでに苦悩し、現在も、只管被害者両名の冥福を祈るなどその反省悔悟の情には顕著なものがあること等を十分斟酌しても、被告人に対しては無期懲役の刑を科するのが相当である。

よつて、主文のとおり判決する。

(裁判官 生島三則 若原正樹 北秀昭)

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